ヒロクラテス式

ヒロクラテス式は、哲学者ヒロクラテスが日々浮かんでは消えていくよしなし事を気付きへと昇華するために綴った記録である

継続しないことは別れなのかという話

継続コースやサロンの決断について

 

ここのところ、

ツイッターでつぶやいてる人が多い。

 

区切りだし、節目だし?

んで、本人が言いたいんだから別にいいんだけど。

 

ひとつ、

ちょっと違うんじゃないかな?っておもうのが

今生の別れみたいなやつ。

 

果たしてそうなんかなー?

みんなそんなに、これで終わりにしたいのかなー?

っていうのが正直な感想なの。

 

(いや、わかんないよ?そういうスタンスなのかも知れないし、別れを惜しむのがああいう形になってるのかも知れない。元々、人の感情を読むの苦手だから私の受けたイメージだけで話してるけど)

 

 

 

 

 

 

アカデミーは大学

継続は大学院

 

と、私は思ってる。

 

みんなで一緒に大学を卒業した。

院に進む人もいれば、

就職する人もいる。

 

卒業後、

合う人とは関係は続くし、

合わない人とは何を言ってたって続かない。

 

院に進んだから良いとか偉いとかじゃない。

就職選んだから負けとか情けないとか、

現実も、そんなこと全くないでしょ?

 

卒業する生徒に

そうやって言われたら、

先生も寂しいんじゃないかな。

 

少なくとも私は寂しいよ。

 

別に落ちこぼれたわけじゃない。
みんな学士は優秀な成績を修めたじゃん。

 

やれること、やりたいこと、目指すものが違うだけだよ。

 

NOは否定じゃない。違う、だよ。

 

 

 

せっかくの専門性を学ぶ大学院で、

志が違う人が混ざっている方が

専門性の質も下がるし

お互いのために良くない。

 

だから、続けない決断をしたのは、

ほんと、英断だと思うんだよね。

 

もっと自分の選択に自信を持って欲しいなー。