ヒロクラテス式

ヒロクラテス式は、哲学者ヒロクラテスが日々浮かんでは消えていくよしなし事を気付きへと昇華するために綴った記録である

コウノドリを観ておる

HDD容量不足のため40分しか録れてなかった

コウノドリ第10話を観ております。

 

第10話は、出生前診断のお話。

 

途中で切れてるから

ドラマがどうなってるかわからないけど、

まぁ、難しい問題ですよね。

 

私は、妊娠したことないですが、

自分が妊娠したら、

出生前診断はしようと思ってましたね。

それこそ、小学生の頃から。

 

ただ、

実際、大人になって、

色んなことがあって、

今、思うのは、

いざ、自分がそうなったら迷うし、

おそらく、こういうのは正解ってないよなー。ということだけ。

 

 

 

ドラマ内でもセリフがありましたが、

検査でわかるものだけが判断基準になるのも

どうなんかなーという気もするし、

(技術的なものと倫理的なもの両方)

それでスクリーニングされることの是非は一旦置いておいたとしても、

「育てていく覚悟」って、ハイ100%持てた!100%持てない!ってもんでもないんだなーって最近思うし、

それを妊娠している母親に迫っていたら、ほとんどの人は産めないことになるし、

かといって、覚悟なしに、気楽に!ってのもなんか違うし、

そもそも、母親だけにそこ求めるのはなんか違う気もするし、

たとえ、検査で異常がなく、生まれても問題なく、だったとしても、人生の中で突然そういう状態になることだってあり得るし。

 

 

人生ってわからんよね。

ほんと。

 

大丈夫なように大丈夫なように岐路で選択してきたけど、

思い描いていた「大丈夫」がいくら形になっても、

絶対「大丈夫」とは程遠い生活してるし、

でも、まぁ、なんとかなるよねって意味では

大丈夫っちゃ大丈夫だし。

 

 

結論は出ないんだけども、

まぁ、人生何が起こるかわからんですよね。

 

所詮、人の手に負えるものではないのだな、

借り物なんだよなー、人生も。

 

普通ってあってないようなもんだからなー。

みんなに共通の幸せって

お腹いっぱいか温かいくらいしか無いんじゃないかなーと思う。

 

 

と、思う、冬至の本日。